紫陽花


 江戸の町には紫陽花が咲いている道がたくさんあって、俺はこの時期に外へ出ると思い出に浸ることになってしまう。懐かしいのと切ないのと半分半分てところ。変わってしまったものは取り戻したいような取り戻したくないような。

 あの時俺は副長に怒られると思って。
 今となっては何をやらかしたのか覚えていないし、だっていつものことだから、いつも俺は副長のこと怖かったし。
 言い訳じゃなくて、嘘でもなくて。
 こそこそと見つからないように茂みの中を進んでた。そこからこっそり覗き見た副長が、いつもと違く見えた。紫陽花の向こうに立ってて、何してるんだか全然わからなかったけど、煙草を吸っていなかったのだけは覚えてる。唇ばっかり見てた。
 紫陽花の赤いのに似ていて、全部忘れてしまった俺は一直線に副長のところに、紫陽花を跨いで傍まで、行った。
 何をする気だったわけでもないから、俺は副長の前で立ち尽くした。副長は何だお前って、ただそう言っただけ。一瞬怒鳴られるかと思ったけど、それだけ。
 茂みにいた時には見えていなかった位置に沖田さんがいて、俺と目が合うと微かに口の端を歪ませた。俺はそれに愛想笑いを返す。
 副長が眉間に皺を寄せて、懐から煙草を出して咥えて、火をつけるのを見てて、うわ情緒ないなって思ったけど止める気もなくて、だって今一番ぶち壊しなのって俺じゃん?
 冷静に考えればホント俺何してるんだって。逃げる? 逃げとく?
 怒鳴られたくないなーって様子を伺ったら煙に隠れて口元は笑ってた。あれ、副長ってすげー怖い人じゃなかった? これ何だ、むしろかわいい?
 それ見たら一気にがちがちって、はまっていって気づいてしまった。全部覆ってしまった。
 俺、副長のこと怖くない。ていうかむしろかわいいとか思ってしまって、それで向こうにいる沖田さんも、同じ気持ちだ。
 沖田さんは副長が好き。俺も、そう、っぽい。
 だから今まで好意的だと思っていた沖田さんの笑みは、そうじゃなくて実は純粋にむかつくと思ってて、気づいてしまったからきっとこれから俺もそういう風に思ってしまう。
 沖田さんに嫉妬する。
 俺が気づいたことに、沖田さんは気づいた。副長は変わらない表情で煙草を吸う。
 ついさっきまで俺が気づいていなかったからつい昨日までは俺と沖田さんは仲良くミントンとかしてて、でもこれからはしない気がする。うん、しない。
 副長は更に情緒なく、足元で吸殻を踏み潰して、半笑いのまま言った。
「山崎」
「あはい、なんですか!」
「頭に」
 腕を伸ばしてきて、だから副長の指が俺の髪に触れて。
「え!」
「かたつむり」
 とってくれた小さいかたつむりは殻に篭っていて、副長の手のひらでころんと転がっていた。
 沖田さんの視線が痛い。でもって副長って。かわいい。

 それからも副長はいつも通りに俺を怒鳴って沖田さんの攻撃をかわして反撃して、何にも変わっていないのに、俺たちはお互いのそんなところを見て嫉妬しあう。
 今もまるで競い合うように、買い物袋を抱えて屯所への道を早歩き。次々に色の違う紫陽花とすれ違って。中にはあの赤色に似た花があった。似ているだけで違うけれど。
 あの時の花はあの時だけのものだから。