朝顔


 山崎は、毎朝庭に水を撒く。だらだらと長い、青いホースを引きずって、正面入り口や裏口を回って、最後に庭にも、水を撒く。
 俺は時々その姿を見つけて、山崎の手元から噴き上がる水に見入る。地面が雑草が、濡れていく様を遠くから見る。
 最後の最後、山崎は壁際に自生している朝顔に届くように、指に力を込める。花は降り注いだ水と朝日で光る。俺は情緒的な方ではないと自覚しているけれど、それは綺麗だと思う。
 もう、何年も見てきた景色だ。
 それが終わると山崎は水を止めてホースを片づけて任務に就く。打ち水は仕事ではないし、誰もこれを褒めたりしている様子はないけれど、多分しないよりは、屯所は少し涼しいのだと思う。
 今日もやってるなァ、そう思って縁側を横切ろうとすると、ぼたぼたぼた、と山崎の足元に水が落ちた。みるみるうちにそれは水溜りとなって広がり、飛んだ水滴が靴や裾に染みて、山崎の足元が色を変えていく。
「おい山崎ィ」
「……はい?」
 一拍遅れて、山崎はこちらを振り返った。水たまりはどんどん広がっていく。
「はいじゃねぇよ、お前、水止めるんじゃないのか」
「あ、はい、止めます」
 慌てた山崎はホースを手放し、勢いでホースが跳ねる。
 わぁわぁ言いながら蛇口に駆け寄ると、水が止まったのを確認して、上目遣いでこっちを見た。申し訳なさそうに笑む。
「あれだ、ここの朝顔の花はでかいなァ」
「そうですか?」
「町で見かける奴はもっと小ぶりで、色ももっと地味だ」
 毎日水をやってれば、育ちもよくなるんだろう。まるで適量が山崎の身体に染みついているのではないかと思う。
「……町で? 朝顔、見ますか?」
 山崎は怪訝そうに言った。とは言っても、山崎はあまり表情が変わらない。どうやら本人は喜怒哀楽豊かなつもりらしいが、俺は大体探り探りだ。
「あるだろ。煙草屋の手前の、角の空き地とか」
「……煙草屋の?」
「な?」
「ああ……」
 表情がない上に反応も鈍い。常に半拍遅れる感がある。
「副長あれ、昼顔ですよ」
「ひるがお」
「昼顔です。昼に咲くんです。朝顔より小さいものなんですよ」
 だいたい、副長朝から町なんか歩かないでしょ。
 確かにそうだが、何だか馬鹿にされてるような気がして癪に障る。例によって山崎はよくわからない表情だ。
「副長、夜顔は知ってますか」
「知らん」
「俺、副長は夜顔っぽいと思いますよ」
 白くて大きい花が咲きます。香りが強くて、圧倒されます。
 想像力の豊かでない俺の頭で思い浮かぶのは、巨大化した朝顔でしかなくて、それが俺を連想させるのかどうかは、俺自身にはわからなかった。
「そうかよ。じゃあお前は朝顔だ。それで、総悟が夕顔だ」
「夕顔はご存知なんですか」
「あれだろ、かんぴょうになるやつ。アイツかんぴょうっぽいだろ何か」
「ええ?」
 一瞬満面の笑みを見たような気がしたのに、気がつくと山崎はやはりいつも通り微妙な表情だった。
 蛇口にホースを巻きつけて縁側に上がり、確か酢の物にかんぴょうが入ってましたよ、と言う。朝食の話だ。
「腹は減ってるが、酢の物って気分でもねーな」
「今日も暑くなりますよ。酸っぱいものは健康にいいです」
「屯所はマシなんだろうがな。そのための打水だろう。……お疲れさん」
「……はぁ、ありがとうございます」
 何を言っても、少なくとも表に出る部分はいつもこの調子だから、実のところは少々量りかねる。はっきりと確認したくなることもあるものの、それをしても多分こいつはよくわからない態度をとるに違いない。
 さっきぼうっと足元に水を溜めながら、一体何を考えていたのか、さっぱりわからない。どういうつもりで俺を夜顔に例えたのかも、労ったことについて何を思っているのかもわからない。
 時々俺に触れる指先も、口唇も、意味深長な言葉も、実際のところは何もわからないままになっている。
 予感だけが胸の中で育っていっているのだ。
 これが伸びて伸びて絡みついて、枯れることなく花ひらくことはあるだろうか。
「朝飯、食いにいくか」
「そうですね。あ」
「なんだ」
「おはようございます」
「……おう、おはよう」
 山崎が遅れているのは半拍どころではないかもしれない。俺に見えている山崎の中の花も、いつかひらくように。いつか。俺は気長に、待っている。