あかく咲く声のパロディです。
青くひろがる

 山崎は不思議な声を持っている。聴いた人間は、何故かとても気持ちがよくなり、その口から発せられた言葉に従ってしまう。
 おやすみ。
 例えばそう一言告げただけで、人間をその場に崩れさせることができる。
 動くな。
 例えばそう一言叫んだだけで、聴いた全ての人間の動きを制限することができる。
 この仕事をする上で、うまく使えればとても便利な能力だ。けれどうまく使うというのは意外に難しい。
 山崎に指示命令をしたつもりがなくても、それに類する言葉であれば聴いた人間には影響がある。聴いたわけではなく、聞こえただけでも。
 とっさの時に敵味方を選ぶことができないその声は、時に危険を呼ぶ。
 だから山崎は不用意に喋ることをしなかった。

「……以上です」
 山崎の報告を聞いていると、すごく気持ちがよくなる。落ち着くといった感じではなくて、ハイになる感じ。
「あの、副長? 俺何か変なこと言いましたか?」
「……別に」
「……内容、聞いてました?」
「当たり前だろ!」
 俺がムキになって答えると、山崎はそうですね、と言ってへらっと笑った。
「でも副長、いつまでたっても俺の声に慣れてくれないから」
「それは、違うって言ってるだろ」
「はぁ」
 違わないとはっきり言われれば、間違っているのは俺の方だと思い込んでしまうだろうに、山崎はそうは言わない。

 言ったのは一度だけだ。
 報告を聞いていた、ふたりきりの部屋で、俺は山崎にキスをした。急にそんな気分になったから。いや、前々からそんな思いを持っていて、その時たまたま機があった、そんな感じ。
「違いますよ」
 山崎は顔を上げてただそう言った。
 命令や指示がなくても、ただ聞いているだけでも昂揚するような感覚に襲われる声。だから近くに居るだけで、そして親しければ親しいほど、錯覚をしてしまうのだと。
「だから、副長のその気持ちは間違いです」
 キスをしたのはそれが最初で最後だ。俺の気持ちは間違いなのだと言われてしまったから。
 でも最近、やっぱりそれは間違いなんかじゃないのではないかと思い始めた。
 山崎から、あの時の否定が嘘だとか言われたことはないし、逆に俺がこんな気持ちを抱くような命令をされたこともない。
 その記憶も操作される可能性はあるけれど、その辺りは信用してるからこその直属の部下だ。

 建物を背に、二人並んで言葉を交わしていた。今日はひどく暑くて日向に出るのが恐ろしいくらいで、ほんの少しの狭い陰に、縮こまるようにして入っている。
「暑い」
「雲もあんまりないですね、一雨降れば少し涼しくなるでしょうに」
「雨は鬱陶しいから嫌いだ」
 何が気に入ったのか、山崎はふふと笑う。俺は構わず報告の回答と指示を伝えた。
「では、失礼します」
 背を向けて日向に一歩踏み出した山崎は、暑いなァとひとりごちた。耳に届いて体感温度が上がる。
 油断していた気持ちもあって、腹立たしくて怒鳴りつけようかと思ったけれど、もう一言続いてそれは阻まれる。
「空は海みたいに青いのに」
 途端、足元から駆け上がるみたいに、涼しさに包まれた。はっきりと波の音が聞こえて、ちらちらと光が目に刺さる。
 揺れる空は、落ちてきそうなくらい瑞々しい海になった。
 その力を見せつけられると、迷う。山崎への想いに、迷いが生まれる。
「畜生」
 複雑な気持ちを抱えて、俺は夏の海に取り残された。冷たくて悔しくて切なくて、今別れたばかりだというのに、会いたくて、たまらない。