おもいで。

 仕事納めがあって、大掃除をして、餅をついて、御節料理を準備して、年越し蕎麦を食べて、新年を迎えて、初詣に行って、雑煮を食べて、少しのんびりして、仕事始めがあって、そんな絵に描いたような年末年始を迎える人はほんの一握りだ。
 幼い頃から、そんな一連の行事からは程遠い生活をしていたように思う。無理をすればできないような家庭でもなかっただろうが、そこまで年中行事に一所懸命な親類はいなかった。家族の誰かが欠けていても大掃除はしたり、初詣には行かなくても雑煮を食べたり、ということはあった。
 だから他所の家庭を見て、羨ましいと思ったことはない。

  ***

「また今年もやるのか」
 山崎が、物置から杵と臼を用意しているのを見かけて、後ろから声をかける。
「やりますよー! つきたての餅うまいっすよ」
 副長、明日の昼は屯所にいますか。
 そう問う山崎は、手元から目を離さない。一年の間に積み重なった不用品を、ひとつひとつどかして、一番下になっていた臼を引きずり出した。黒い隊服を真っ白にしている。
 俺は物置の戸に肩を預けて、その様子を眺める。
「明日は、いない」
 そう答えると、山崎はやっと顔を上げて俺を見た。
「そりゃ残念ですね」
 大げさな、と思うくらいに表情を変える。
「別に」
 俺は逆に、これでもかというくらい無表情に言う。
「あれ、そういえば去年も副長いなかったですよね」
「そうだったかもしれねえな」
「一昨年はいました?」
「覚えてねえよ、餅つきなんか。そんな、してもしなくてもいいようなこと」
「まあ、確かにそうかもしれませんけど。しなくてもいいからって、しないのは、寂しいですねえ」
 山崎が、臼を傾けて転がして、俺の前を通る。
「副長、もちは何味が好きですか?」
 マヨネーズ以外で。山崎が小さく付け加える。
「俺、黄粉好きなんですよねー。小さい頃に、黄粉を塗したほかほかの餅を渡された時って、結構幸せで」
「そういうもんか」
 山崎が語る、幼い頃の思い出話。それを聞いて、俺は苛立った。
 山崎はよく自分の話をする方だと思う。けれど、それは俺の聞きたい話からどことなくずれていて、それを知ることで山崎を深く知ることにはならないような気がしている。
 いつも、そう。
 俺の思った通りに動かないし、思った通りに動かないだろうと思うと、思った通りに動いたりする。
 そして、聞きたくもない話をする。聞きたい話をしない。
「何ていうか、懐かしい感じ」
 たまにはそういう日があってもいいじゃないですか。
 春夏秋冬それぞれの、いくつかの年中行事。
 山崎は、中心に立たないまでも、そういったことには積極的に参加をした。
 いつの間にか大所帯になった真選組の、隊士たちはそれぞれ異なった育ちで、中には何で同じ道を行くことになったのかと思ってしまう境遇の奴もいる。
 山崎だって、何でと思うことがある。
「お前の言う懐かしいは、俺にはいつもわからねえよ」
「そんなの、当たり前じゃないですか」
 物置から出て、体についた埃を払っていた、その手を止めて山崎は言う。本当に驚いたように、目を見張って、俺の目をまっすぐ見て。
「そりゃ、悪かったな」
 反射的にそう答えて、俺はその場を去った。
 副長、と呼ぶ声を背中で受け止める。
 山崎はいつも俺を苛立たせる。山崎の口から出る世界が、俺の中で嫌な感じに燻る。燻らせる。
 そうわかってる。山崎がむかつくんじゃなくて、自分がむかつくんだっていうこと。あいつに気づかされる、自分の気づいていなかったところに、むかついているんだっていうこと。
 気づいていなかったことと、気づかされたことが、苛立ちを呼ぶ。
 今思うのは、幼いあの時に、羨ましいと思わなかったくだらないことが、今ひどく羨ましいということだ。
 山崎が何気なく話す、こんなに些細なことを、共有することができないことが、くやしい。

  ***

「もう冷えちゃってますけど」
 そんな言葉を添えて、山崎は餅の乗った皿を出した。
「結局何が好きか聞けなかったんで、黄粉にしました」
「ああ、そう……」
 山崎の手の中の皿に、甘そうな黄粉餅。温かくないのが一見してわかって、しかもどう保管していたらそうなるのか、黄粉がべっとりと水気を含んでいる。
 外から帰って、屯所内でも仕事をして、一段落したところで食堂に残っていたものを適当に漁って食事にしようとしていたところだった。山崎は、どこから俺を見ていたのか、タイミングよく現れたかと思うと、戸棚から皿を出してきて、部屋に戻る俺の後をついてくる。
「来年は、副長のいる日に餅つきしたいですね」
「別に、したかったとか言ってねえし」
「でも」
「ああ?」
 立ち止まって振り返って、俺は山崎を睨む。
 気を遣おうとしているんだろうというのは分かる。でもそこじゃねえよ。俺は、今餅つきしたいんじゃなくて。
「でも、やらないと、思い出にならないし」
 俺の怒り具合が予想以上だったようで、若干怯え気味に山崎は言う。怯えてる癖に、言いたいことははっきりと言う。
「俺だって、副長の言う懐かしいは絶対わからないです。それどころか、局長や沖田さんなら分かるんだろうなとか、思うし」
 半歩後ずさった態勢を元に戻して、山崎は言う。
「副長、懐かしいって作れるんですよ」
 今やれば、いつか懐かしくなる。季節ごとのものなんて余計に、風化してしまうのも早い。
「俺たちは、違うところからきて今こうしてるけど」
 この先どうなるかもわからない。
 それは俺も山崎も口には出さなかった。出さなかったけれど、お互いに、同時に胸に浮かんだ、と思う。
「今から、副長とふたりきりで懐かしむものが、増えたら嬉しいです」
 本当に、山崎は思った通りにならない。
 俺は、山崎が手に持ったままの皿から、黄粉餅を指で摘み上げて一口でばくりと食べた。廊下は寒くて、餅はますます固く冷たくなっていて。
「まずい」
「来年はぜひつきたてを」
 そう言ったかと思うと、すっと山崎の手が伸びてきて、指が唇に触れた。
「なに」
「え? あ、黄粉がついてたんで」
 ぎゅっと擦って拭って、指についた黄粉を山崎はぺろりとなめる。
 その様子は、唇と唇が直接触れるよりも、何というか恥ずかしくて。
 甘い、と呟く山崎を、来年思い出すのかと思うと。
「むかつく」
「えっ何でですか」
「何ででも」
 それでも懐かしいと思うものなんだろうか。幼くない、大人になった今の出来事でも、そう思うんだろうか。
 思い出す時に、山崎が変わらずむかつく感じにここにいるとは限らないし、山崎にとっての俺も同じことなのだけど、ああ確かに。
 ふたりで懐かしむものが増えるのは、いいかもしれない。